ファッションと言葉に無頓着

エッセイ

私はリトルトゥースだ。
毎週オードリーのオールナイトニッポンを楽しみにしている。
とある放送で若林正恭さんがなるほどという発言をしていた。

「オレたちがファッションに無頓着のように、若者言葉を使う人たちは、言葉使いに無頓着なんだよな。」


正確な発言は忘れてしまったのだが、凄く胸に響いた。
私もファッションには疎いかもしれないけれど、言葉には気を使っているからだ。
強力な味方が現れた感覚だった。


ぴえん、ぱおん。
○○しか勝たん。

自分が若者言葉として、ぱっと思いついたものだ。
そしてこれらはどれだけ流行しても絶対に使わないぞと決めていた。
単純に私はダサいと思うからだ。
上記の言葉を使うような人だと思われたくない。

正直なぜダサいのかと問われると上手く伝えられない。
感覚的に受け入れられないという一面もある。

ただ、流行の言葉を使うことで、自分の正確な気持ちを表現することから逃げているように思える。
例えば、ぴえん、は悲しい時と嬉しい時どちらでも対応可能な言葉だ(ったはず)。
正反対の意味を成しているのに、1つの言葉で片付けられてしまう。

ぴえんと言われると正直どちらの意味か、どんな感情なのかわからない。
だけど、今現在流行しているから、仮にぴえんを使うと、かえって場は盛り上がったりする。
これが若者言葉を加速させることになる。

自分の気持ちを便利で容易な若者言葉で表現したら、自分の気持ちがいずれ表せなくなるのではないだろうか。
それに年老いて、若者言葉が似合わなくなった時の惨めな気持ちもあまり想像したくない。

言葉使いに無頓着な人達。
私はどちらかと言えば言葉に気を使う方だ。
しかし、ファッションは少し苦手だ。

お洒落な若者からしたら、ファッションに無頓着な私達を見て、私と同じように哀れんでいるのかもしれない。
こういった感覚は人それぞれだ。
言葉使いを大切にする、という信念は今も抱き続けているので、ぶれずにいたいなと思う。

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