座談会は社員の同窓会

エッセイ

2月に突入した。
この時期になると思い出すものがある。
座談会だ。

3月からいよいよ本選考が始まるその少し前に、企業は最後の告知を行う。
座談会はうってつけのイベントである。

私は就活生の時、座談会が好きだった。
しかし、内定者時代に一度座談会に就活生とは反対側から登壇して、嫌いになった。

なぜなら座談会は就活生のためではなく、就活生のために行われていないのではないかと感じたからだ。

くだけた雰囲気が社員の本音を引き出している

就活生の当時、座談会は説明会に比べてずっと好きだった。
それは形式ばったものではなく、本音を聞き出せると感じたからだ。

説明会は人事部が用意したスライドに沿って説明がなされる。
一番正式なものだ。
恐らくある程度練習もしているだろう。
何十、百、千と経験を重ねることでより洗練された説明ができあがっている。
そこにはなかなか隙がない。

だから会社の概要はよく分かる。
でも概要はHPで検索すれば理解できることだ。
せっかく会社の人と顔を合わせているのに、何か得をした気にはならない。
知りたいことと教えてくれることが少しずれている気がする。

そこでの座談会だ。
形式ばった説明はそこそこに、私達就活生の質問に対応してくれる。
自分が聞きたいと用意した質問に真剣に答えてくれる。
アドリブなので、社員の人はその場でぐっと考えて答えてくれる。
勿論公の場ということは頭の中に入っていると思うが、きっと本音もチラつかせてくれているはずだ。
だから凄く会社の本音を理解した気持ちになれる。

会社の雰囲気を知れる

座談会の良さは他にもある。
「社員同士の雰囲気を知ることができる」という奴だ。

実際自分が入る会社の雰囲気がどんなものか非常に気になる。
自分に合った空気感というものは、うまく言語化できないけれどあるはずだ。

座談会で年の異なる先輩後輩が話す様子を見ると、その会社の雰囲気を就活生は察することができる。
説明会では見られない光景だ。

そして座談会はESを提出して、一度選考を通過した人達のみに与えられるイベントだったりする。
普通の人には参加権がない座談会。
自然と座談会の価値も上がってしまう。

ただただ楽しく話し罪悪感が芽生えた

就活生時代に何度か参加した座談会。
参加して良かったと当時の私は感じていた。
だから内定した会社から、座談会に参加してほしいと話を貰った時はすぐに承諾した。
私も少しでも恩返しをしようと。

実際に座談会に登壇して、私が感じたことは2つある。
楽しかったことと罪悪感だ。


自分が正解

座談会に内定者として登壇すると、自分の全ての回答が正義・正解という風になってしまう。
だから否定されることがない。
珍しいコメントをすると「なんで!?」と興味深く司会者が尋ねてくれる。

でもある意味当たり前だ。
ある会社の座談会で、私は内定者だ。
そして就活生は、内定を得るために参加してくれていることが多い。(勿論冷やかし等もいる。)
だから私の意見が全て正しいという図式ができあがってしまう。

プチ同窓会

座談会には3種類の人間がいる。
出席者、登壇者、そして司会だ。

この司会の役割は人事部の人が担うことが多い。
人事部と登壇した社員は普段は異なる部署のため、久しぶりの再会となる。
すると楽しく会話をしたくなるのだ。
初めて出会う就活生よりも顔見知りの先輩後輩を優先したくなる。
積もる話があっって、日々顔を合わせている社員同士よりも盛り上がったりする。
まさにプチ同窓会だ。

実際、座談会に登壇した際の私がまさしくこの状況だった。
久しぶりに再会した、お世話になった人事部の先輩に嬉しくなってしまった。
だから私の頭の中に就活生という意識がほとんどなくなってしまった。

当時の座談会がZOOMだったこと、私が初めての座談会だったこと。
色んな要素はあるけれど、座談会は登壇者の私がただ楽しく時間を過ごしただけだったのではないか。
イベント中楽しんでいた私は、終了後に罪悪感に変わった。

座談会に内定者として登壇してから1年が過ぎた。
イベントの目的を常に問い続けられる自分でいたいなと思い返した。

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